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+本日の口上04+
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能面に関する雑話
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  以前から気になっていた「面の紹介」=「使用面」のリンクに手を入れ、ゴムが伸

 びたパンツの上にズボンを履いているような気分から、ようやく解放されました。

  この間、自分の不勉強を痛感するとともに、うれしいこともいろいろありました。

  新たに能面の写真をご提供下さった「能面文化協会」の久保博義様、「能面のホームペ

 ージ」の坪井朝人様、ありがとうございました。

  また、私の愚問のメールに対して、ご丁寧な回答を下さいました能面師の方々にも、こ

 の場を借りまして厚く御礼申し上げます。

  ということで、今回の「本日の口上」はこれまでとは少し趣向を変え、肩の凝らない能

 面に関するお話をさせて頂こうと思っています。


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 柱と能面の切っても切れない関係 


「柱で全然見えねーよ。あれさ、どうにかなん

ないの?」

 先日、ある会の公演が終わった後、若い男性

が友人と思しき別の男性に、こんな不満を漏ら

しているのを耳にしました。

 能楽堂に行かれたことのある方はご存じでし

つねうどんを「小塩」と名付け、ビールを注文

ょうが、見所(客席)には舞台を前方から見る

正面、真横から見る脇正、そして正面と脇正の

間に位置する中正(なかしょう)があります。

 中正は通常、学生席などに当てられ、料金

も割安なのですが、目付柱(めつけばしら)と

呼ばれる客席側に出っ張った柱によって、視界

を分断されてしまいます。

 当日は全席自由でしたが、満員だったので、

この男性は不運にも中正に座ったのでしょう。

「あれ」とは、もちろん目付柱のことです。

 観戦しにくいとの理由で、相撲界では戦後、

土俵から屋根を支える柱を取り払ったといいま

す。でも、能楽堂から目付柱を取り除くことは

この先もちょっと期待できそうにありません。

 というのもこの目付柱、能面と切っても切れ

ない関係にあるからです。

 皆さんは能の演者が能面を掛けた時、演者と

能面のあごの先端が、3cmほどズレているのを


ご存じでしょうか。ちょうど能面のあごの部分

が、演者のあごの上のちょっとくぼんだところ

に収まった感じになっています。

 おそらく、身体と顔のバランスがいいとか、

微妙な動きまで能面に反映できるというのが理

由かと思いますが、重要なのはその基準が能面

のあごの位置であって、目ではないことです。

 つまり能面の目の位置は、演者の通常の視線

よりも上にズレているのです。

 しかも盲人を表現した専用面や翁面以外、大

半の能面の目はひとみの部分しかあいていない

ので(直径5mm程度)、演者は視野が狭くなる

のと同時に、距離感もつかめなくなります。

 そんな演者を救ってくれるのが、目付=目印

となる目付柱なのです。

 演者は本舞台に入ってきた時、あるいは舞な

どを舞って大小前(大鼓、小鼓方が座っている

中間点の前方部分で、作り物などを置く)に戻

った時などには、まず目付柱を見て自分の位置

を確認し、ズレを補正していきます。

 ですからもし、この目付柱を相撲にならって

取り除くならば、能面を掛けた演者の多くは、

白洲へ落下するか、階(きざはし:舞台正面の

階段)を転げ落ちることになるでしょう。




 「面をイタダク」に込められたシテの心 


 能楽の世界には他の業界と同様(あるいはそ

れ以上に)、いろいろな専門用語があり、能面

に関するものも少なくありません。

・能面はオモテと呼び、メンとはいわない。

・能面を使用することを面をカケル(あるいは

 ツケル)といい、カブルとはいわない。

・面を製作することは面をウツという。

 あるいは能面を上に向ける=テラス、下に向

ける=クモラス……。こうした用語の解説は、

能を知るための”基礎知識”として入門書など

にも出ているので、このあたりで止めます。

 私がここで用語の話を持ち出したのは、演者

と能面の関係を端的に表現した言葉について、

ご紹介したいと思ったからです。

 それは面をイタダクです。

 イタダク(頂く、戴く)−−広辞苑を引くと

A崇め敬う、敬い仕える、奉戴すると出ていま

すが、能楽ではシテが能面と正対し、面に向っ

て頭を垂れることを指します。

 橋懸り(はしがかり:本舞台左側の欄干の付

いた廊下)との間を、揚幕一つで仕切られた薄

暗い鏡ノ間(かがみのま:舞台に向って右側の

壁に大きな姿見が掛かっている)。ここが、シ

テが面をイタダク場所です。

 楽屋で装束を着け、鏡ノ間に入ってきたシテ

は、姿見の前で、葛桶(かずらおけ)と呼ばれ

る円筒形で黒塗りの腰掛け具に腰を下します。

 そして、面箱(能面を入れる箱)の上に袱紗

を敷いて置かれた能面を取って、静かに能面を

イタダキ、面裏に返して顔に当てます。


 この時、演者は両脇の紐の付いた部分(耳の

部分)以外、能面に触ることはありません。位

置をずらす時にも中指(もしくは人差し指)を

使って行います。能面に彩色を傷つけたり、指

紋を付けないためです。

 また終演後、鏡ノ間に戻って葛桶に着座した

シテは、後ろで縛った面紐を解いてもらうと、

まずあごの部分から能面を外していきます。

 一気に、あるいは額の部分から外すと、面裏

に溜まった汗が、目や鼻、口の開口部を伝い、

表側を濡らす可能性があるからです。

 この、面をイタダクことから始まるシテの一

連の所作、そして面をイタダクという言葉その

ものが私は好きです。

 そこには単なる決り事ではない、能面に対す

る心配りと、自分を絶対視しない(むしろ自分

の存在をなくそうとする)謙虚さがあります。

 それは日本人が昔から美学として受け継いで

きた、”消極的宗教感”とでも呼べる心理なの

かもしれません。ちょうど宮崎駿の「となりの

トトロ」の中で(幼稚な例ですみません)、め

いとさつきと父親が、大きな楠木に向って手を

合わせる時の心持ちのような。

 ですから、良識を持った多くの能楽師は「今

度〇〇という曲を出します(舞います)」とは

言いません。「〇〇をやらせて頂きます(舞わ

せて頂きます)」という言い方です。

 そこが「今度〇〇でコンサートやりまーす」

と言い、ことさら自分の存在を誇示するタレン

トさんとは、かなり違う点なのです。


 大いなる模作が支える能楽の世界 


 同じ演目であっても、使用する能面が流派に

よって異なるケースは多々あります。

 特に顕著なのが女面で、例えば「井筒」とい

う演目では、観世流は「若女」「深井」「小面」

などを使用し、宝生流は「増」、金春流は「小

面」「増」、金剛流は「孫次郎」「小面」、喜

多流は「小面」を使用します。

 では、各流派で決められた能面以外を使用す

ることは許されないのかといえば、必ずしもそ

うではありません。

 定例能などでは、演者の希望やスケジュール

の都合などによって、類似した能面を代替する

ケースもあります。例えば金春流では「阿漕」

の使用面は「痩男」ですが、これを「蛙」(か

わず)などで代用するのです。

 融通の利かない世界と思われがちですが、こ

のあたりはそこそこ柔軟であるといえるのでは

ないでしょうか。

 ところで、能面の中に重要文化財の指定を受

けているものがあることを、多くの方がご存じ

かと思います。が、そのような貴重な能面は普

段、各家元家などに大切に保管されていて、一

般の公演で目にすることはまずありません。

 こうした能面を本面(ほんめん)といいます。

 本面はその流派にとってのいわば”ご本尊”

ともいうべき能面で、一種類につき一つ(また

は二つ)が用意されています。ですから同じ名

称の能面、例えば「景清」なども、流派によっ

て造形がかなり異なっています。

 また、本面と呼ばれる能面のほとんどは、

六作と呼ばれる、室町期、あるいはそれ以

前に活躍した面打師によって創作された(と思


われる)もので、為政者たちもその価値を高く

評価していたらしく、江戸期には各流派で家元

が代替わりするたびに、その目録(書上げ)を

幕府に提出させていたといいます。

 一方、普段の公演で使用される能面はウツシ

と呼ばれます。これはそれぞれの流派の本面を

忠実に写しとった面という意味で、簡単に言え

ば本面の模作品です。

 とはいっても、絵画などの贋作とは意味合い

が全く違います。

 贋作は本物と偽る、いわば存在してはならな

い模作品ですが、ウツシはそれがなければ一般

の演能に支障をきたしてしまう、いわば”影武

者”のような能面です。

 江戸期から今日まで、能面師(あるいは面打

師)と呼ばれる人々の情熱は、この影武者−−

いかに本面に近いウツシをつくるか、に注がれ

てきたといってもいいでしょう。

 そこで培われてきた彫りや毛描きの技術、あ

るいは素材の調合、処理技術といったものは、

日本人の匠の技の優秀性、今日的にいえば生産

技術の高さを象徴しているかのようです。

 私はそうした匠の技を見るたびに、日本人と

しての誇りを感じます。

 そして、個性、芸術、クリエーター、アーチ

スト……といった言葉が安易に飛び交う今日の

風潮と比較しながら、能も能面も”芸術”とい

う名で神棚に祀って欲しくないな、能は「芸」

であり、能面は「技」であり続けて欲しいな、

などと思ってしまう次第です。

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Tsuneyasu Kawasaki+++



「能面の紹介」の写真類は、

ご覧の方々にイメージ頂くための一助として掲載したものであり、

金春流の本面やウツシとは関係ありません。



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