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大江山


 能本作者註文では世阿弥の作とし、二百十番謡目録で

は宮増の作としている。いずれが正しいのか判別できな

いが、能本作者註文に曲名が出ているので、室町時代の

曲であることは間違いないだろう。

 演能曲目に関する古記録も見当たらない。


 源頼光の武勇伝を取り上げた曲には、本曲のほか「土

蜘」があるが、「土蜘」には確かな典拠が見えるものの、

本曲には典拠とおぼしき文献は明かでない。

 お伽草子に酒顛童子という作品があり、本曲と同様の

内容となっているが、制作年代が本曲の前なのかどうか

は分からない。

 また、本曲よりも明かに古い文献としては大江山絵詞

がある。この絵詞には異本も多いが、その中で最も古い

と思われるのが、下総香取大宮司の伝えたとされる香取

本で、作者は兼好法師とも、二条為世とも伝えられてい

るものである。


 一方、後世の研究資料としては、井沢長秀の広益俗説

弁の巻十があり、そこには次のように記載されている。

「今按るに、頼光酒顛童子を討つ事実録に見えず。但、

源氏系図に頼光誅伊吹山凶賊とあり、古今著聞集に市原

野にて牛の腹にかくれ居たる鬼同丸というものを頼光切

殺せる事を載せたり。是等を付会して世に伝ふるにや。

又異邦に似たる事あり」

 ここで挙げている「又異邦に似たる事」とは、明の時

代に書かれたという白猿伝のことで、「酒顛童子の伝説

は恐らくこれからでたのであろう」と言っている。

 だが、白猿伝の内容は以下の通りで、にわかには信じ

がたい。

「梁武帝の時、欧陽コツ(「糸」へんに「乞」)といふ

者が山中で妻を鬼に奪われたので、これを取り返さうと

鬼の栖家に赴き、ここに捕へられていゐる女達と計を廻

らして、美酒で鬼を酔はせ、麻縄でその体を縛った。鬼

は白猿の姿で眼を怒らし縄を解かうとしたが叶はず、遂

にコツ等の為に殺された」 

   つまり、鬼畜妖賊を討つのに女と酒を利用するのは、

必ずしも白猿伝に限ったことではない。スサノオのヤマ

タノオロチ退治の神話がそうであり、謡曲の「一角仙人」

も同様の手法で不覚をとる仙人の話だからである。


 以上のことを考え合わせると本曲は、畿内の民間伝承

が源頼光の武勇伝と結びついて生まれた話を、原拠にし

ているのではないかと思われる。

 つまり昔、都に近い大江山や伊吹山などには世人を悩

ます山賊がいて、これを退治した事実があった。それが

伝説化して酒顛童子の物語となり、絵詞として伝えられ、

やがて謡曲のモチーフにもなった、というわけである。